玉木潤の人生と哲学!25年目の決断とは?情熱大陸

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京都府宇治市にある行列の絶えない名店「たま木亭」。

そのオーナーシェフが、パン職人・玉木潤です。

この記事でわかること

・玉木潤の人生

・玉木潤の哲学

・玉木潤の25年目の決断

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1,玉木潤の人生!

世界が認めたパン職人・玉木潤の歩み

京都府宇治市にある行列の絶えない名店「たま木亭」。

そのオーナーシェフが、パン職人・玉木潤です。

1968年、京都府宇治市に生まれた玉木は、実家がパン店という環境で

幼少期からパン作りに親しんできました。

高校卒業後は京都製菓技術専門学校、日本パン技術研究所で基礎から徹底的に学び、

京都センチュリーホテルでの勤務を経て、老舗ベーカリー「ドンク」に入社します。

ドンクでは10年間にわたりパン作りの研究と実践に没頭します。

職人としての技術だけでなく、味覚の理論や製法の再現性、品質管理など、

パンづくりの奥深さを体得しました。

そして1996年、28歳の時に世界最高峰のパンコンクール

「クープ・ドゥ・モンド」に日本代表の一員として出場します。

総合4位という快挙を成し遂げ、世界のパン職人からその技術力を認められました。

2001年2月、満を持して独立し、地元・宇治市に「たま木亭」をオープン。

2015年には現店舗へ移転しリニューアルオープンし、現在では1日平均600人の

客が訪れ、6000個ものパンが売れる全国屈指の人気ベーカリーへと成長しています。

2,玉木潤の哲学!

深夜2時から始まる孤高の仕事――“生地作り”への執念

「パンの味は生地で決まる」。玉木潤が最も重要視している工程が、生地作りです。

彼の1日は深夜2時から始まる。パン生地を仕込む作業はパン職人にとって

“生命線”ともいえる工程であり、気温・湿度・小麦粉の状態など、

わずかな違いが味や食感に大きく影響します。

たま木亭では、10種類の基本生地から派生した約100種類のパンが店頭に並びます。

食パンだけでも4種類の種(タネ)を使い分け、こねる速度、発酵時間、

焼成温度、冷却温度までパンごとに細かな基準が設定されています。

その膨大な工程を、玉木は25年間ほぼ一人で担ってきました。

6000個のパンを生み出す生地を仕込むため、玉木はほとんど自宅に帰らず、

店の2階に寝泊まりする生活を続けています。

孤高の職人として、自らの技術と責任で店の味を守り続けてきた姿は、

まさに“職人そのもの”といえます。

3,玉木潤の25年目の決断とは?

25年目の転機――弟子に託した“オリジナルのパン”

そんな玉木潤が、創業25年の節目に大きな決断を下しました。

「お前たちのオリジナルのパンを作ってもらいたい」。

スタッフにこう切り出し、これまで自分だけが担当してきた生地作りを、

初めて弟子たちに任せることを決意したのです。

開業以来、生地作りは玉木自身の領域であり、職人としての矜持でもありました。

技術の核心部分を他者に委ねることは、味の変化やブランドの根幹に関わる

大きなリスクでもあります。

しかし、職人としての“孤高”を貫くだけではなく、次世代へ技術と哲学を継承する

必要性を感じたのです。

弟子たちに任せたのは単なる作業ではなく、「オリジナルのパン」という創造の領域。

自分の技術をコピーさせるのではなく、若い職人たちが自ら考え、

新しいパン文化を生み出すことを望んだのであります。

そこには、パン職人としての孤独と責任、そして後進への信頼が交錯する

深い思いが込められていました。


4,おわりに

孤高から継承へ――玉木潤が示す職人の未来像

玉木潤は、世界的コンクールで評価された技術を持ちながら、

地元宇治で一つの店を守り続けてきた稀有な職人です。

深夜2時から始まる生地作り、6000個のパンを支える孤独な仕事、

店に寝泊まりするほどの覚悟でした。

その姿勢は、パン職人という仕事の厳しさと誇りを象徴しています。

しかし25年目の節目で、彼は「孤高の職人」から「技術を託す師匠」へと

歩みを進めました。

生地作りという核心を弟子に任せる決断は、職人としての終わりではなく、

文化としてのパン作りを未来につなぐ第一歩でもあります。

玉木潤の生き方は、単なる成功したベーカリーオーナーの物語ではありません。

「技術とは守るものではなく、育てて渡すもの」。

その哲学こそが、たま木亭のパンの奥深い味わいとともに、

多くの人を惹きつけてやまない理由なのであります。

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