今回はウクライナの家族が日本へ避難してきましたが、母国へ戻ったりまた
避難して来たり・・・戦争の起こっているところは大変ですね。
この記事でわかること
・マトヴェイは姉の支えがあった
・マトヴェイは母国へ
・マトヴェイは子供だけ来た
1,マトヴェイは姉の支えがあり日本へ来た!
「ママのそばにいたい……」
それは、どこの家庭にもあるはずの、ごく当たり前でささやかな願いです。
しかし、戦争はその願いすら容易に踏みにじります。
ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから3年余り経ちました。
日本には多くのウクライナ避難民が身を寄せてきました。
母マーヤさん(48)と次女レギナちゃん(10)、長男マトヴェイ(8)も
その一組でした。
2022年、命の危険を感じたマーヤさんは、2人の幼い子どもを連れ、
日本へと逃れてきました。
東京・東新宿で始まった慣れない生活。
言葉も文化も違う土地での子育ては決して容易ではありませんでしたが、
それでも爆音に怯えず眠れる夜が、そこにはあったのです。
支えとなっていたのは、日本で家庭を築く長女アナスタシアさん(26)と、
その夫・和真さん(38)でした。
行政や財団の支援を受けながら、家族はなんとか新しい日常を形にしていきました。
しかし、2025年5月、財団からの支援金が終了しました。
生活の先行きが見えなくなるなかで、マーヤさんの心に浮かんだのは
「故郷に帰る」という選択でした。
2,マトヴェイは母国へ!
アナスタシアさん夫妻は強く反対しました。
戦況は決して落ち着いていません。
それでもマーヤさんは、3年ぶりに祖国の土を踏む決断をします。
2025年初夏、マーヤさんと2人の子どもはウクライナへ帰国しました。
久しぶりに戻った自宅。懐かしい食卓を囲み、子どもたちは川で無邪気に遊びます。
日本では見せなかった笑顔が、そこにはありました。
「やっと普通の生活に戻れた」――そう感じたのも束の間でした。
帰国からわずか1か月、ロシアの攻撃は再び激化します。
自宅近くの商業施設や病院が爆撃され、日常は一瞬で崩れ去りました。
アナスタシアさんは、離れた日本から必死に母を説得しました。
「今度こそ戻ってきて。子どもたちを守って」。
その言葉に、マーヤさんは再避難を決意します。
しかし、現実は残酷でした。用意できた航空券は、子ども2人分だけでした。
ウクライナに残る障害を持つ兄の世話を続けるため、マーヤさん自身は
戦地に残らざるを得なかったです。
ポーランドの空港。出発ゲートの前で、幼いきょうだいは大好きな母と
別れることになります。
マーヤさんは必死に笑顔を作り、「アナスタシアの言うことを聞くのよ」と
息子に言い聞かせました。
マトヴェイくんは涙をこらえながら、母の手を離さざるを得なかったのです。
3,マトヴェイは再度子供だけ来た!?
再び日本へ。
東京・東新宿で始まったのは、アナスタシアさん夫妻と、レギナちゃん、
マトヴェイの4人暮らしでした。
再会の喜びは確かにありましたが、すぐに現実が立ちはだかることになります。
日本の小学校の授業についていけず、言葉の壁にぶつかる子どもたち。
特にマトヴェイくんは、夜になると「ママに会いたい」と声をあげて泣きます。
布団の中で、小さな体を丸めながら母の名前を呼ぶ姿に、大人たちは
胸を締めつけられます。
戦争が続く限り、家族は引き裂かれたままになります。
誰が悪いわけでもなく・・・ただ、生まれた場所が戦場になってしまったという
事実だけが、子どもたちの未来を左右しています。
「ママのそばにいたい」
その願いが叶う日は、いつ訪れるのだろうかと思います。
終わりの見えない日々の先に、家族が再び寄り添い、同じ空の下で暮らせる日が
来ることを、ただ祈るしかありません。
4,おわりに
「ママのそばにいたい……」
それは、どこの家庭にもあるはずの、ごく当たり前でささやかな願いです。
しかし、戦争はその願いすら容易に踏みにじるのです。
2022年、命の危険を感じたマーヤさんは、2人の幼い子どもを連れ、
日本へと非難してきました。
しかし、2025年5月、財団からの支援金が終了しました。
家族はウクライナへ帰らざるを得なくなります。
ウクライナはまだ戦争が収まっては居ません。
家の近くが爆撃されることもあります。
「今度こそ戻ってきて。子どもたちを守って」。
その言葉に、マーヤさんは再避難を決意します。
でも、航空券は子供たちの分のみでマーヤさんはウクライナに残る決意を
していました。
ウクライナに残ったマーヤさんはどうなるのでしょうか?
日本語は覚えづらい言葉であると言われますが、マトヴェイはまだ小さいので
覚えられそうだと考えます。
ノンフィクションを見て、また書こうと思います。


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