今回は、【サラメシ】に登場するという、
安田敏明さん(医師)について
調べようと思います。
どうぞご覧ください。
1,安田敏明さん(医師)は熊本地震ネパール地震の復興に尽力しました
まず、安田敏明さんは東北大学法学部を
卒業して大手企業に勤めますが、自分の
やりたいことができていないことと、
発展途上国の医療を支える人の本を読んで
考え直し、1年で会社を辞めて、
医学部に入りなおして大学病院などに
勤めます。そのあと、
ボランティアでネパールへ渡り、
発展途上国の医療に携わります。
そこから、帰国直前に網小医院設立の話を
聞き、島の人々と直接ふれ合える環境に
魅力を感じて、網小医院へ行くことを
決めます。
安田敏明さん(医師・宮城県)は、
東日本大震災の緊急支援でAARの
巡回診療チームを率いて、
さまざまところに医療を届けましたが、
その後起こった熊本地震の際は、
ゴールデンウィークの4日間、
熊本を訪問し、高齢者や障がい者の施設
などで健康チェックをしています。
安田敏明さんは、8月に1週間の休暇を
取り、17年ぶりにネパールを訪ねました。
復旧が遅々として進まない様子は、
日本の比ではありませんでした。
4カ月たっても倒壊した家屋の残骸が
そのままになり、テント暮らしの人が
たくさんいました。
その中で知り合いのネパール人医師が、
不眠不休でけが人や病人の治療にあたる
様子を目の当たりにし、安田敏明さんは、
自分の役割を見つめ直すきっかけになった
と言っています。
安田敏明さんのモットーは、
「できることは島でする、
でも絶対に無理はしない」。
分からないことは各科の医師がそろう、
とちの木病院に電話で相談し、
専門医の指示を仰ぎます。
安田敏明さんの専門外の治療や
がんの手術なども、派遣される
とちの木病院の専門医に任せています。
安田敏明さんの医療などの活動は、
すごいものだと思いますし、これからも
網地島の網小医院の医療活動も
がんばって欲しいです。
中塚陸歩は作りたいもののために移住して…?↓
2,安田敏明さん(医師)は東日本大震災後の網地島で医療を行いますが?
安田敏明さん(医師)は、ネパールで
医療活動をやっていて、日本に帰ろうと
思った頃に網地島の網小医院の話を聞き、
離島の医療に尽くしてみようと
決意したのです。
網地島の島民も、きめ細やかに
医療活動をしてくれる、
安田敏明さん(医師)に任せてみようと
思ったのです。
島民の女性の旦那さんが、
病室で意識が遠のいているときに、
ベッドの脇で、安田敏明医師は
容体に目を光らせていました。
尿路感染症で入院していた島民の夫は、
冷え込んだこの夜に心筋梗塞(こうそく)
を発症しました。
応急処置が施されましたが、
専門医による緊急手術が必要な状態でした。
「石巻の病院に連絡して、血管を広げる
カテーテル手術の準備をしてもらったから、
船を手配したし、すぐに行こう」と
島の港から、安田敏明さんが無理を言って
頼んだ小型のモーターボートに患者の妻も
一緒に乗り込んで、安田敏明さんは
狭い後部座席に夫(患者)を寝かせると、
右手で点滴の輸液ポンプを持ち、
左手で管を固定します。
座席から落ちないように夫の体をひざで
支えました。
待機していた救急車に乗り込み、
午前0時ごろ石巻市内の病院に到着します。
夫は一命を取り留め、2週間後に
島へ戻ることができました。
こういった適切で細やかで信頼できる
医療をしてくれる先生がいてくださると
網地島の島民の方々も都会になんて
行けない!とおっしゃる方が多いことにも
うなづけます。
網地島の島民とお互いの信頼関係を
作れたことも、大きなことだったの
でしょうね。
渡部薫編集長は週刊朝日で…?↓
3,安田敏明さん(医師)のお嫁さんと子供さんは?
安田敏明さん(医師)は、60歳になること
から、家族への配慮が足りなかったと
思い、家族サービスをしようと
しますが、奥さまは定年後に海外で
日本語教師アシスタントになると言い、
3人の子供は独立して、それぞれ
国内外で働いています。
(長女は国連職員になってカンボジアに、
次女は小児科医になって
結婚をしています。
長男は札幌に医院を持って運営しています。)
離れていても、お昼ご飯のメールで
つながっていると思える、家族でとても
ステキだし、うらやましいです♪
※こちらはイメージです。
4,まとめ
安田敏明さん(医師)は、東日本大震災から、
AARの巡回診療チームを率いていて、
熊本地震のときは、ゴールデンウイークの
4日間を熊本地震の復興支援に携わって
医者として参加してくださいました。
ネパール地震の復興にも尽力しています。
網地島での医療にも尽力されています。
そのことで網地島の島民との間に
強力な絆がうまれていることを
知りました。
しかし、お嫁さんと子供さん3人は?と
思いましたが、奥さまは定年後に海外で
日本語教師アシスタントになると言い、
3人の子供は独立して、それぞれ
国内外で働いています。
それでも、お昼ご飯ではつながりを
感じられるそうです。
ステキな家族でした!【サラメシ】の
とても面白い回でした。
次の回も楽しみにしています。
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