今回は、【サラメシ】のコーナーに出演されるという
奈良岡朋子さんを取り上げたいと思います。
よろしくお願いいたします。
どうぞご覧ください。
1,奈良岡朋子さんの経歴は?
奈良岡朋子さんは、昭和4年東京生まれです。
洋画家の父・奈良岡正夫の影響で女子美術専門学校(現・女子美術大学)を卒業します。
約75年間民藝の舞台に立ち、亡くなるまで劇団民藝の代表を務めました。
主な出演作に『イルクーツク物語』『奇蹟の人』『セールスマンの死』ほか。
平成17年には仲代達矢さんと共演した「ドライビング・ミス・デイジー」で
芸術祭大賞を受賞しました。
その他、紀伊國屋演劇賞、菊田一夫演劇賞はじめ、多くの演劇賞を受賞しています。
2013年からは毎年夏に『黒い雨』の朗読を続けました。
劇団民藝での仕事ですごく活躍していますが、
「おしん」のナレーションや「渡る世間は鬼ばかり」などの
テレビドラマにも出演されています。
演技をされるということが、生きがいというか
生きている証のようなものだったかもしれないですね。
そういった方の食べたお昼ご飯は気になります!
どんなお昼ご飯だったのでしょうか?
いつも食べていたお昼ご飯は、どこでも買える
かんぴょう巻きだったようです。
大きい巻物は食べなかったので、かんぴょう巻きしか
買えなかったような話を丹野郁弓さんがしていました。
中村光江さんの能面作りは学べます。↓
2,奈良岡朋子さんの姪・丹野郁弓さんは演出家!
奈良岡朋子さんの姪御さん・丹野郁弓さんは、劇団民藝の
演出家として活動しています。
劇団民藝に入るときに奈良岡朋子さんに「奈良岡は民藝に1人しか要らないのよ!」と
言われて、芸名を考えたのだとか。(血縁の人が民藝にいると思われないようにしたのかと考えます。)
丹野郁弓さんは、早稲田大学第一文学部英文科を卒業しています。
英文科を卒業されたので、英文の劇を訳してやりたかったのではないかと思います。
丹野郁弓さんは、1988年『ナッツ』で初翻訳以来、数々の舞台を翻訳します。
初演出も『青春の甘い小鳥』(1995年)以降、民藝の作品の演出を手がけてきました。
1997年には湯浅芳子賞を受賞します。初演されて好評だった『明石原人』は初の創作劇演出で、
2005年、マイケル・ウェラー作『スポイルズ・オブ・ウォー』の演出と合わせて毎日芸術賞千田是也賞を受賞します。
また、『ドライビング・ミス・デイジー』では奈良岡朋子さんと仲代達也さんの夢の共演と合わせて、大きな期待が寄せられていました。
丹野郁弓さんはとても気さくな方で、まさに新進気鋭な演出家(翻訳家)です。
丹野郁弓さんの講演会の会場となった劇団民藝事務局会議室は楽しいお話とみなさんの笑いで溢れました。
丹野郁弓さんは、劇団民藝に入るときに芸名を考えたということでしたが、
ここまでたくさんの作品を演出されてきたのですから、
芸名が役に立って良かったとしか言いようがありません。
奈良岡とは、けっこう珍しい苗字ですから、
違う苗字にするのも仕方ないことですね。
加藤誉樹さんはバスケットボールのプロレフェリーです。↓
3,奈良岡朋子さんは姪・丹野郁弓さんの翻訳劇に多く出ていた!
奈良岡朋子さんの姪御さん・丹野郁弓さんは、
1982年劇団民藝に入団します。
1988年『ナッツ』で初翻訳以来、数々の舞台の翻訳を手がけ、
初演出は95年『青春の甘い小鳥』で、『アニマル・ファーム』
『アンナ・カレーニナ』『払えないの?払わないのよ!』『海の夫人』『アルベルト・シュペーア』
と続きます。97年に湯浅芳子賞を受賞し、2005年には『明石原人』『スポイルズ・オブ・ウォー』の
演出で毎日芸術賞をも受賞します。
これ以外にも、さまざまな作品の演出を手掛けてゆきます。
その一つが「思い出のチェーホフ」です。↓
DVDで売っているのですね!借りられると嬉しいのですが…。
買わないと見られないかなぁ…?
東京芸術劇場で公演をされていたなんて、
昔大ホールに通っていたこともあったので
気付いていたら見られたかもしれないですね。
その頃、私は舞台を見るような人ではなかったので、
いまになってみると、とても残念です。
渡部薫編集長はいまはどんなお仕事をされているのでしょうか?↓
4,まとめ
奈良岡朋子さんは、昭和4年東京生まれです。
洋画家の父・奈良岡正夫の影響で女子美術専門学校(現・女子美術大学)を卒業します。
約75年間民藝の舞台に立ち、亡くなるまで劇団民藝の代表を務めました。
奈良岡朋子さんの姪御さん・丹野郁弓さんは、劇団民藝の
演出家として活動しています。
奈良岡朋子さんの姪御さん・丹野郁弓さんは、
1982年劇団民藝に入団します。
奈良岡朋子さんも、姪御さんの丹野郁弓さんも
非常に才能に溢れた方なのでしょうね。
奈良岡朋子さんの舞台を観てみたかったと思いました。
コメント